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幕末最強の剣客集団【新撰組】の意外と知られていない誤解とは?

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浅葱色(あさぎいろ)に染め上げたダンダラ模様の羽織を身にまとい、誠の旗印を掲げて京都の町を巡察


隊士たちは鉄の掟を遵守し、一たび不逞浪士を見つければ相手が何人いようが臆することなく斬り込み捕縛する



度胸とリーダーシップを持つ局長・近藤勇(こんどういさみ)


敵にも味方にも厳しく鬼と呼ばれた副長・土方歳三(ひじかたとしぞう)


病魔に侵され若くして夭折した天才剣士・沖田総司(おきたそうじ)


幾多の戦闘に参加して最後まで残った最強の生き証人・永倉新八(ながくらしんぱち)



こんな魅力的な人物たちを揃え幕府の為、京都の治安を守る為に剣をふるい幕末最強の剣客集団と呼ばれた彼らは迫りくる近代兵器の前に敗北した

それが『新撰組』!!


現代でもドラマや漫画の主役になるほどの人気で、まさに幕末のヒーローといっても過言ではありません!!


しかし…。


この話には幾つかの誤解が存在しているようなんですよね?


今回は本当の新選組について話してみたいと思います

目次

局中法度は存在したのか?

まずは新選組のエピソードとしてあげられるのは局中法度(きょくちゅうはっと)の存在


たとえ苦難を共にした仲間と言えども、掟に逆らったものには容赦なく処罰が下される鉄の掟で有名です


新撰組の結成以前からの仲間であった【山南敬助(やまなみけいすけ)】さえも切腹に追いやったとされる御法度とはどんなものだったのか?

局中法度とは?

1・士道に背くまじき事
2・局を脱するを許さず
3・勝手に金策してはいけない
4・勝手に訴訟を取り扱ってはいけない
5・私闘を許さず


以上の事に背いたものには切腹を申し付ける!

というもの


現代の会社風に訳すと

1・会社の看板に泥を塗るな
2・会社を辞めるな
3・副業するな
4・勝手に弁護士に相談するな
5・個人の感情で喧嘩するな


って感じでブラック企業全開のパワハラなんですが、大所帯をまとめ上げるための規律であったようです


当時の隊士たちは根性あったんでしょうねぇ…。



しかし、明治時代の終わりごろ


新撰組の2番隊隊長・永倉新八が新聞記者の取材では

4か条の禁令があった

と答えています


一般的に知られている局中法度は5か条で、永倉の証言は4か条…。


5番目の私闘を許さずという項目については、永倉の口からは語られていません


近藤や土方とは結成以前からの知り合いで、新選組の古参隊士である永倉が隊の規則を忘れるのは考えにいですよね?

しかも『禁令』と言っています


つまり、隊内の規則は存在していましたが

【局中法度】という名前では呼ばれていなかった!


しかも切腹させるほど厳しいものでも無かったんです

局中法度と名付けたのは?

1928年、小説家の子母澤寛(しもざわかん)


当時、新聞記者をしていた子母澤は旧幕臣を取材して聞いた話を1冊の本にまとめて出版しました


タイトルは『新撰組始末記』

その後、立て続けに『新撰組遺聞』『新撰組物語』と新選組3部作を世に送り出したのですが、この中で4つの禁令が5つの局中法度として書かれています


つまり

子母澤寛の創作だった!!


じっさい局を脱するを許さずと言ってますが結構やめて生きている隊士も多いんですよね(笑)

でも責めてる訳ではありませんよ?


だって、子母澤寛は小説家ですから歴史小説のフィクションとしては最高の演出と思います


厳しい規則で統制を取り、破った者には死の制裁を加える非情な組織というイメージも新選組の魅力の1つとなっているんですから

だんだら模様の羽織を着ていたのか?

続きまして制服の話


新選組といえば浅葱色でダンダラ模様の羽織を纏って戦っていたというのが定説となっています


京都のお土産屋なんかでも置かれていたり、新選組のコスプレイヤーなんかも当然この姿が当たり前


しかし現代、羽織を着た新撰組隊士の写真は残されていません…。

制服は存在していた?

まず、何故このデザインの羽織になったのか?


答えは、局長である近藤勇が【赤穂浪士(あこうろうし)】が好きだったからです

ダンダラ模様・・・吉良邸に討ち入る際に、赤穂浪士たちが来ていた羽織がダンダラ模様だった

浅葱色・・・薄い水色の事で、赤穂浪士たちが切腹した時の袴の色だった


この羽織に関する資料は残っていない為、実際の羽織のデザインというのは定かではありません


しかし、最初に新選組の屯所となった八木邸の人はダンダラ模様の羽織を着ていたと証言しているため

ダンダラ羽織は本当にあった!

といっても実際に採用されていた期間はとても短かく、有名な池田屋事件のあたりまでとされていて期間にして1年ほどだったようです

着用しなかった理由とは?

ダンダラ模様の羽織を作った理由は、隊士の制服としてではなく

正装用の衣装だった!


例えば、何かの式典を行う時や幕府の上役と会う時などの「これが新選組です」とアピールするデモンストレーションに使われていたんです


本来、新選組の役割というのは京都の町中でも繁華街(祇園など)を巡察し、不審な人物を捕縛し尋問することが目的


今で言うと私服警官のような存在だったので、あの衣装で街中に出れば派手すぎてバレバレです


万が一抵抗され戦闘になった場合にも、羽織が邪魔になり体の動きに支障をきたす可能性があります


映画やドラマでの最大の見せ場『池田屋事件』


ダンダラ模様の羽織をまとった沖田総司が、華麗な剣さばきで敵を切り倒す姿は確かに絵になります


しかし実際は

目立たず動きやすい服装で突入していたんです

剣に生きた男たちだったのか?

新選組といえば己の剣一本で戦い剣に死んでいく侍たちというイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか?


最強の剣豪は誰?


なんて話になった時には近藤や沖田の名前が挙がるほどです

剣の実力はどうだったのか?

局長の近藤勇さらに土方歳三や沖田総司は、現在でいう東京都多摩市で天然理心流(てんねんりしんりゅう)という剣術を学んでいました


当時の江戸には3大道場というものが存在し、天然理心流というのは田舎剣術みたいな扱いだったようですね


たまに道場破りが現れた時には、師範代である近藤が近くの道場に使いを出して助っ人を頼んでいたみたい…。


他の隊士たちの腕前も身内の評価ばかりで

戦い方も1対1は避け集団で戦う事が多かった!


有名な池田屋事件でも近藤勇が両親に送った手紙が通説となっていますが、他の記録とは食い違う点が多く信憑性に欠けます


これらの事情から個々の腕前は疑わしいという結論が導き出されます

洋式を取り入れていた

新選組に限らず、当時の日本男児というものは剣の道を志すのは当たり前でした


しかし時代の情勢は変化していきます


徳川幕府直属の会津藩預かりであった新選組も当然この変化に対応し

洋式の銃や大砲を購入し軍事訓練も行っていた!

そのため、結成初期に軍事演習の軍師であった武田観柳斎は、時代遅れの軍事を悟り脱退を決意し粛清されました


最終戦の開幕、鳥羽伏見の戦いでは最新式ではないものの隊士全員が鉄砲を装備していたんです


ちなみに、現存するズボンをはいた土方歳三の写真は洋式の服装ですよね

やっぱり新選組が好き

私は幕末ファンです


1つ分かってほしいのは新選組を陥れようとしている訳ではありません


歴史なんてものは現代人が勝手に解釈する事しか出来ませんから、色々な説が生まれるんですよねぇ


確実に言える新選組の事実とは

京都の町を守っていた事!


この国の未来の為に命がけで駆け抜けた新選組

彼らこそ日本史上、最強の剣客集団と言って間違いないんです!!


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この記事を書いた人

生まれも育ちも関西人

釣り・乗り物・睡眠が生きがいなアウトドア派のインドアな男

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